居場所・・・②

そう、人は一生懸命やったことをやはりどうしても褒めてもらいたい、評価してもらいたいと思ってしまうもの。そして、満足できる評価があれば、自分はそこで必要とされていると思うし、自分の居場所はそこだと思う。たしかに居心地はよい。けれど、相手も、相手が望んだことをこっちがやったときに、褒めてくれる、評価してくれるのであって、それ以下はもちろんだが、実はそれ以上でも駄目なのだ。

相手が必要としていることをその範囲でこなし、それ以上の部分は自分の満足として、表にださずにいられる、これができる場所がきっとその人の居場所なんだと思う。

逆に言うと、それ以上の満足を求め、周りと不協和音を奏でるようになったら、それはこっちが去らなければならないことなのだと思う。

特に上司は、時に自分のコントロール能力をはかりたくなるものらしい。部下が自分の言うことをきちんと聞いてくれるものかどうか、または自分は上司なのだということを知らしめておかねばと思うのか、突然理不尽なことを言うことがある。でも、たいていその理不尽さが私は受け入れられない。そういう個人の感情がはいった、そもそもの目標とは異なるものを、私は「無駄なもの」と見なしてしまう。でも、これはきっと処世術で、人間関係や職場環境を保っていくために必要な「無駄」なんだと思う。

でも、こっちはもっと先に進みたいのだ。そんな「くだらない」プライドに付き合っていられない、と思う。上司だったら違うところにプライドを持てばいいのに、と思ってしまう。伸びようとする部下を温かい目で見守ることだったり、時々厳しいことを言いながら育てることにプライドを持てばいいのに・・・。そして、そう思った瞬間、その上司がちっぽけに思えて、それまでの尊敬や信頼が完全に崩れ、軽蔑へと変わってしまう。傲慢だとは思うけれど、感情だから、それを表に出すかどうかは別の問題として、湧き上がってくるものにうそはつけない。残念だと思うけれど。

言っておくが、それまでとても信頼していた人にそんな感情を抱かざるをえないとわかったとき、こっちも残念を通り越して傷つくものだ。裏切られたかんじ。これは、もしかしたら恋愛感情に近いのかもしれない。「そんな人だったなんて!!!」ってヤツだ。

さて、その後の決定は完全に自分次第。何を言っても、相手は上司だから、明らかにこっちの立場のほうが弱い。そこでまだ働きたければ、仕方ないので、自分をなだめすかしてその上司の「エリア内」で働き、いずれ上司が変わることを祈るか、または辞めるか、だ。

生活がかかっているから、「辞める」ことはそんなに簡単ではない。それに、辞めるって、なんだか逃げているみたいで、こっちが「負けた」ような気がしてしまって、そう簡単には踏み切れないものだ。別に勝ち負けではないのだが、どこか自分にいけないところ、劣っているところがあるから、そこに居場所を見つけられなかったのだ、または築けなかったのだという思いがずーんと心にのしかかる。私もしばらくその思いに苛まれた。この一連の出来事は自分にとっていったいなんだろう、そこから私は何を学べるのか、または何を学べといわれているのだろうか、と答えを求めて苦しんだ。人に起こる出来事に無駄はない、けれどすべての出来事に意味があるわけでもない、たいてい意味は後になってからわかるものだ・・・と考えながら、それを無駄にするかどうかも結局は自分次第だ、じゃあ、今自分はどんな決断をするべきか、それは逃げではないか、負けではないか、そんなことを、ぐるぐると考えてしまっていた。

そんなとき、あの「あ、そうか」がきた。頭で考えていたことが腑に落ちた瞬間だ。それに伴って次の行動も決まった。やっぱりそろそろだ、と自然に思えたのだ。そして大きな一歩を踏み出した。今は、1年後の自分だけを見つめている。そこには必ず私の居場所がある。

"居場所・・・②" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント