若者の自殺

三浦春馬の自殺。
特に注目していたり好きな俳優というわけではないが、映画やドラマを見ているなかで、何度も目にしたことのある俳優。好みではないが、イケメンな、キラキラしたイメージの若者。まだまだ長く続く人生があったはずだった30歳の青年。
その自殺のニュースに、体内がざわっとした。「うそ?!なんで?!」といった驚きとも、「つらかったでしょうに」という悲しみとも違う違和感。
見たことも会ったこともないこの若者の死に、私はなぜ、違和感を感じるんだろうか。胸のつかえがとれないのはなぜなのか。
一つには理由がわからないからだ。でも、それは知りようがないし、わかったところで納得できるはずもないし、そもそも私の納得なんて必要がない。
もう一つはやはり、その若者が何かの解決のために選んだ方法が自殺だったということ、それに対するやるせなさだろう。

年齢でいえば40歳を過ぎたころから、人生の節目で言えば子を持って母になってから、すでに自分だけを対象とした葛藤というものはなくなった。自分の人生を自分だけのものとして捉えることがなくなり、自分の中の見えないものと戦うことがかなり減った。目の前に、戦わねばならない具体的な相手(子ども)がいるから、というのもそうだが、それまでの人生を、後悔とか反省とか悩みとかいろんなものをひっくるめて受け入れることができるようになったからだと思う。今まで積み上げてきたものを、さらに積み上げていくしかない。それは、ひとつの職種のキャリアということではなくて、もしまったく違うものをこれから始めるとしても、すべてはそれまでの自分の人生ありきのことなのだと、負け惜しみでもいいわけでもなく思えるようになったからだろう。
そう考えると、30歳で結論を出すことは-正論にすぎないとわかってはいても-、惜しい。

でも、私はちょっと想像することができる。
「死」という言葉の魔術。その言葉にとらわれてしまったときの呪縛のようなもの。悩んで悩んで、「死」という言葉が浮かんできたとき、楽になるのか、さらにその呪縛から抜けられなくなって苦しくなるのか、それは人によるだろうし、「段階」によるのだと思う。
ただ、いずれにしても言えるのは、その呪縛にかかってしまう人とかからない人がいるということ、そしてその差がどこにあるのか誰にもわからない、ということだ。それは勇気があるとか、苦しさの度合いとか、そういうものとは違う。そうではなくて、その人がもともと持っている素質みたいなものなのだと思う。

私のこのざわざわした感じはいつになったら消えるのだろうか。少し時間がかかる気がする。



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