ドイツの不妊治療7

★最後に
3回の体外受精で思ったこと。
不妊治療は積み上げるものではない。経験が役に立つとか、前回ここまでいったから、次はその先までいけるはず、なんてことはない。だから、確かに後から振り返って、それまでの経験を全部比べて、いつが一番採卵数が多かったとか、受精卵が多かったとか、受精卵の質がよかったとか、言うことはできるけれど、それ自体には―結局妊娠をしないかぎり―大した意味がない。反省は役に立たないのだ。
そういうことではなくて、一回一回が個別の壮大なドラマだ。そして、そのどのドラマもいとおしい。だって、それぞれが私の子になる可能性を、多かれ少なかれ秘めていた、かわいいかわいい卵なのだから。
私はそれほど子ども好きというわけではない。子どもが欲しいから結婚相手を探す、という人もいると思うが、私にはそれはないな、と思ってきた。結婚自体も、相手がいればね、というくらいで、恋はしていたいけど、結婚にはこだわっていなかった。そんな私だが、40を過ぎたあたりから、急になにかにせかされているような、焦るような気持ちになった。年齢的な限界が迫ってきているけど、子どもどうする?!と、急に突き付けられているような気がしたのだ。その時、今の夫とつきあって1年くらいたっていて、結婚するかどうかは別として、長く一緒にいられる相手だなと思っていた。そういう相手―この人との間に子どもを持ってもいいなと思える―がいたから、焦る気持ちになったのか、それとも生物学的な限界が近づくと多くの女性がそういう気持ちになるのか、それはわからない。ただ、私の場合は、そういう、一人ではどうにもならない気持ちになった時に、幸運なことに、それをきちんと受け止めてくれる相手がいた。そして、なんとかぎりぎり授かることができた。
女性には―男性にもだろうけど、女性のほうがやはり切実に―年齢という限界がある。もちろん、世界を見渡せば、50代で妊娠したという事例もあるし、年齢以外の要因で妊娠が困難な人もいる。ただ、今回は私がぶちあたった年齢という要因だけにしぼっていうと、年齢は本当に治療のしようがない。今のどんな技術も、それだけには逆らえない。
私は30代半ばにやはり一度、家族計画どうする?と考えたことがある。そのときは彼氏もいなかったし、自分のキャリアアップ(?)に忙しかったから、子どもが欲しいと思える相手が見つかったら、その時に自分が何歳だろうと産んでやるぜ!と思うことで自分の気持ちをしずめた。でも、実際には「何歳だって」産めるものではない。気合とか、がんばる、とかという問題ではない。自分ではいかんともしがたいものなのだ。だから、どうか、どうか、子どもをいつかは産みたいけど、そのうちね、と思っている人、もしも受け止めてくれる相手がいるなら、手遅れにならないようにしてほしい。外見を若く見せることは可能かもしれないけど、卵子の若返りは不可能なのだから。

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