ドイツでの恋について話そう 9

ああ、こうやって人は心のバランスを崩していくのだ、とぼんやりと考えた。まるでスローモーションでゆっくりと落ちていくような、そんな感覚だった。これまでどんなに真面目に、誠実に生きてきても、気が狂うのは一瞬の、こんな些細な出来事によってなんだなぁと、思ったりもした。

もちろん、私は実際には心のバランスを崩すことも、気が狂うこともなかった。
私の場合、自分を保っていられたのは、親の存在が大きかったと思う。親の前で、まだ保っていたい見栄のようなものがあった。こんなことで、めそめそしている自分は、これまで見せてきた強い私とは違う、と思ったのだと思う。それに私にはやらなければならないことがあった。それを果たすまでは、気が狂うわけにはいかなかった。

その後も、彼から連絡がきた。私との別れを決めるきっかけとなった彼女とは、結局、長く続かなかったようだ。でも、私にはもう、彼の相手をしている時間も気持ち的な余裕もなかった。佳境にはいった、人生の「大事なこと」に集中していた。
無視をされていると感じた彼は、またひどい言葉を投げかけてきた。でも、もうへっちゃらだった。もう決して私の人生の邪魔はさせない、と思った。

もちろん、いつでもへっちゃらだったわけではなかった。わかっていても傷つき、後遺症のようなものに苦しめられた。でも、もう繰り返したくなかった。それに、私にはもうそんな力は残っていなかった。一度は、彼の苦しみを全部背負おうとまで覚悟した。でも、彼はいつもいつも、私が与えうるものより多くのものを要求してきた。それに応えるだけの力も、愛情も残っていなかった。私は精いっぱいやりきった、でも届かなかった、私にはもう無理だという、どこかすっきりした気持ちがあった。

ドリカムの歌に「なんどでも」という歌がある。大好きな歌で、彼とのことで苦しかったときに、よく聞いた。

なんどでも、なんどでも、なんどでも、立ち上がり呼ぶよ
君の名前、声が枯れるまで
悔しくて、苦しくて、がんばってもどうしようもないときも、
君を思いだすよ
10000回ダメで、へとへとになっても
10001回目は何か変わるかもしれない


この歌詞を思い出すたびに思った。
10001回目以上試みても、彼には届かなかった。私はもう十分にやったと。

少し気が付くのに時間がかかってしまったな。でも、まだやり直せる。立ち直れる。
それに、本当にいろんなことがあったけど、幸せな時間があったことは確かだ。私は彼が本当に大好きだったし、信じられないくらい幸せだった。だから、もう先に進もう。彼とは違う道を、私は先に進んでいこう。



ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック