『不都合な真実』

原題:An inconvenient truth
2006年/アメリカ/94分

アメリカの元副大統領アル・ゴアが地球温暖化の問題を語る。

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映画の中でゴアが、世界中で1000回以上の講演をしたと言っていました。彼の流暢な話しぶりから、それは伺えました。でも、それがゆえに、その流暢さと同じくらいの速さで、彼の話がするすると耳を通り抜けてしまいました。耳の痛い話なはずなのに、耳に心地よい音になってしまっていたんですよね。そこがちょっともったいなかったと思います。
彼の提示するデータや統計の信憑性がきっと問題となるのだと思うのですが、これに関しては、このままだと本当にそのくらいになりうるという予想の中で、一人ひとりが生活する基準として悪くないと思います。その意味で、ここに挙げられている数字が厳密に正しいか正しくないかはあまり問題ではない気がします。日々の生活の中で、本当の意味で危機感を持っている人が少ないなか、不安をあおってどうこうというわけではなく、できるだけ歩いたり自転車に乗ろう、公共の移動手段を使おう、省エネを心がけよう、という、今日から始められることを始めようと言っているだけ。それは決して悪いことではないですよね。

人々は政府の政策を常に「後手後手だ」と批判します。確かに容赦なくそういわなければならないケースも多々あるでしょう。でも、人はそんなにいつも今後のことを考え、予測を立て、正しい予防をして生きているのだろうか。いや、個人ではそれに及ばなくても、政府はやるべきだ、それが政府の役割だと思われるでしょうか。確かに。でも、手を伸べせば手に入れられる利益や、すぐに取り掛からなければならない問題が目の前にあるときに、10年後20年後の地球温暖化のために今、予算取りをし、予測の中で具体的な政策を進めるだけの決断ができる人がどれだけいるのでしょうか。3年後の選挙で自分の立場がどうなっているかわからない政治家たちが???

私はどちらかといえば、後手後手になるのはたいていの場合、当然だと思っています。何かが起こってからじゃないと人は動かないのではないか、何かが起こってはじめて動くのだろうし、また、具体的に動けるのではないか。もちろん、今回の原発の件など、起こってからじゃ遅いんだよ!という出来事に対して、後手でも仕方がないと言う気はありません。東電が安全管理を怠ったことは明らかです。けれど、地球温暖化に関しては、後に何かが起こってから、政府に後手だ!と文句を言うよりも、今から個人個人が小さな心がけをし、政府が大規模な政策を打ち出さなくてもよくなるように、努力をすることが可能なのではないか。そのために、この映画でゴアが提示する数字が厳密に正しいか、間違っているかに関わらず、そのつもりで人々が生活する、というのはありなのではないか、と思いました。

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